法衣について

真言宗の御衣・袈裟


弘法大師空海

私たちは、真言密教を日本に伝来し真言宗を開いたお大師さま(弘法大師・空海)を信仰しています。毎年祥月命日の法要「正御影供」の時には、お大師さまの衣服を献じる「御衣加持」が行われます。この法要「正御影供」は京都の東寺で延喜十年(九十〇)、高野山では天喜五年(一〇五七)に始まりました。

 『高野山奥院興廃記』によると延喜二十一年(九二一)この年、朝廷からすでに入廷されていた空海さんに「弘法大師」号が贈られることになりましたが、その後一ヶ月して醍醐天皇の夢にお大師さまが現れ、“衣が痛んだのでいただきたい”と告げたのです。

そこで醍醐天皇は装束を御廟に贈ったことをきっかけに、「御衣加持」は明治以降新暦の三月二十一日と旧暦の三月二十一日の二回に分けて毎年行われています。

御衣は新暦の三月高野山の宝亀院でつくられます。境内にある観賢井戸の閼伽水を汲み上げ桶に入れて桧皮を入れて一ヶ月間天日に蒸し、張り広げた布に浄衣を着けた僧が刷毛で何度も色を塗り仕上げます。

専門のお店であつらえ出来上がった衣は三月十七日同院堂内で新しいむしろの上に櫃を置き、お大師さまに供えられる衣の数々が入れられます。それは袈裟・綾地袷・羽二重下衣・袍服・修多羅・衣帯・帽子・檜扇・草鞋・襪・下袴・念珠など十四点に至ります。

周囲は御簾で囲まれ灯明とろうそくの火の下、位の高い僧が出仕して、秘めやかに加持が行われるのです。

二十一日に奥之院灯篭堂にて供養作法を修し、その後御影堂内々陣に納められます。

高野山真言宗寺院宝亀院

御袈裟


袈裟の色

お釈迦様が出家当時、衣服を含め財産になるような私有物を持つことを禁じられており、ボロボロの端切れ布を拾い集めて綴り合せ身体を覆う布を作ったことから袈裟が始まりました。

「袈裟」とはサンクリット語のカーシャーヤ(Kasaya)の音写語であり、「壊色」「不正色」「濁色」と漢訳されます。インドの僧団では法衣の色をこの壊色に定めたため、仏教者が着る服・法衣そのものを「袈裟」と呼ぶようになりました。

古代インドでは主に青・黄・赤・黒・白の五正色を好んで用いられましたが、律蔵には修行者らしからぬ派手な色や高価な材料の衣を身につけた比丘に対して批判があったことから、「新衣を得んには、まさに三種の壊色すべし、一々の色の中、随意に壊せよ。もしは青、もしは黒、もしは木蘭をもってせず、余の新衣をもってするは波逸提なり」と制定されました。

つまり衣財としての布は必ず五正色を避け、人が好まない混じった色や崩れた色に染めるべきものとされてきました。

日本に伝わった袈裟は僧侶の階級や特権を表す衣装として発達しました。一般の僧は黒い衣(黒衣)を着け、紫袈裟は天皇の勅許と言われる許可が必要な高僧のシンボルとなっています。

現在の衲衣は非常に華美なものであり、中でも遠山模様の七條袈裟は導師や老僧、僧正以上が着用する習慣です。

遠山模様は高野山では柄として最上とされ、様々な布をつなぎ合わせた様子を表しています。

七條袈裟台中遠山模様

衣体相対表

紋白袈裟精好白袈裟黒袈裟折五條如法衣衲衣地蔵袈裟
褊衫
直綴
袍服
素絹
空衣
南山装束便覧「高野山之衣體より」

衣と袴 相対表

褊衫直綴袍服素絹空衣改良服
表袴
藤袴
指貫
括袴
道中袴
仙台平
腰衣
南山装束便覧「高野山之衣體より」

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